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2017-02-09 09:32:10テーマ:ブログ

音楽編1
 
どこからか聴こえてきた懐かしい曲、その曲を聴いてた頃の
忘れていた記憶がその時の情景や、着ていた服、
匂いまでもよみがえった!こんな経験ないですか?
思い出のスイッチになったりする音楽って
あんまり意識はしないけど大切なアイテムやと思います。
 
ボクは、ほとんど邦楽を聴きません!
ええかっこちゃいますねん!
 
日頃いわん歯の浮くようなフレーズを
日本語で聴くのが恥ずかして、
聴かんようになったと思います。
カラオケで歌うのも、もちろん嫌いです。
 
「愛してる」隣のカップルのが聞こえただけも、恥ずかしい!
「アイ・ラブ・ユー」現実的じゃないんで、聞き流せる!
 
まぁ変わってるといわれますが、ほんまに思うんですんません!
 
自分の意志でこの洋楽曲(このアーティスト)
が聞きたいと思ったのはいくつの時やったかなぁ?
はっきりとは覚えていませんが、小学2年生の時には
ポールモーリア・グランドオーケストラが聴きたいと
思って聴いてたと思います。父のレコードですが・・・
(ウィキペディアには、ラブサウンドの王様、
イージーリスニング界の第一人者とあります)
 
ポールモーリアをはじめ、レイモン・ルフェーブル、
ニニロッソなどのコンサートに連れて行ってくれた
ことがきっかけで洋楽に傾倒していきました。
 
ここで昭和40~50年当時はどんな感じやったのか?
ボクが住んでいた町ではまだ舗装された道が少なく、田んぼと畑がたくさんあって、
子供たちの遊びの中心は空き地でビー玉、べったん、下駄隠し、
女の子はゴム飛びにケンケンパ!光化学スモック注意報が出ると
室内に入れられたことを思い出します。買い物は肉屋、魚屋八百屋、
果物屋が軒を連ねる市場で各お店の人たちとも顔見知りで、
どこの子供でも悪さをすれば叱られたもんです。
 
そんな時代にボクは、特にトランペットにあこがれ、
おもちゃの吹き矢の筒をトランペットに見立て、
母のミシン用の椅子の上に立ち、
ニニロッソのレコードをかけてなりきる独演会!
見るに見かねた両親が買ってくれたんです、
 
トランペット!
 
でも家は長屋、音を鳴らせば長屋の人全員が
ひっくり返ることは明らかで、
自転車で5分ほど行った河川敷で吹けといわれた、
家で練習できないトランペット・・・
長くは続きませんでした。
 
あのトランペット、何処いったんやろなぁ~。
 

 
その後、長屋の大家さんの娘さんがエレクトーンが達者と聞き
教えてもらえることになりました。しかも大家さん宅のエレクトーンで
毎日練習までさせていただけることに!
練習する曲はもちろんポールモーリアの曲が中心で、
映画音楽やポピュラーも教えていただきました。
そして迎えた発表会。あれはたしか5年生!
ヤマハかどこかのショールームやったと思いますが。
緊張の頂点でステージに上がり一礼し、演奏のスタンバイ!
左足はベースラインを奏でる準備!
 
“あかん!なんかおかしい?”
“あっ、靴穿いてるやん・・・”
 
家の中以外で弾いたことがなく、
足の裏の感覚で鍵盤を覚えてるんで靴は落とし穴でした。
 
ゆっくりと一度立ち上がり靴を脱いできちんと横に揃えて
何事もなかったかのようにスタンバイしなおしたんですが・・・
客席失笑・・・
演奏ボロボロ!
 
2年ほど教えていただいたと思うんですが、
ここだけの話、最後まで楽譜読めていませんでした。
先生がひいてくれるのを聴いて、コピーしてたんです・・・
目は音符を見ているふり!
そらあきませんわなぁ!
 
そのころのまわりの子供たちの服装は自分の意志ではなく、
親が買ってきたものを着るのが普通でしたが、ボクは町のジーンズショップで
正月用に買ってもらった、水色のダウンベスト、
チェックのネルシャツに茶色のコール天のブッシュパンツに
月桂樹の刺繍の入ったパイロットキャップがお気に入りで、
常にスケボーに乗ってました!
と書くとごっついオシャレに見えますが、実は長屋に3才年上の幼馴染が3人いて、
その兄ちゃんたちからの影響なんです!
 
たしか中2の時、母が「英樹、アバ行くかぁ」
1980年3月アバ初来日。
大阪フェスティバルホールに連れて行ってもらいました。
その日から、アバ、アバ、アバ!
 
同級生といるときは“横浜銀蝿”“松田聖子”
 
でもほんまは、アバ、アバ、アバ!
 
そして度肝をぬかれたYMO!
聴いたこともない音とリズムにノックダウンでした。
この人らは楽譜読めるんかな?とかおもいながら・・・
ノーランズ、シーナ・イーストン、アラベスク・・・
あと誰を聴いていたかなぁ?
あっ、RCサクセション、寺尾聡もよく聴いたなぁ!
 
邦楽聴いてるやん!
 
いやっ、小学生の頃はもちろんキャンディーズも沢田研二もテレビでみてましたよ!
ピンクレディーはコンサートも行きましたし、
透明人間っちゅうシングル盤を買ってもらった記憶も確かにありますが、
ただ聴いていただけで、惚れ込んではなかったですね!
 
このころいつも着ていた服は思い出したくもないですが、
紺色の戦闘服(と呼んでた作業着)を友達と揃えていました。
あ、穿いてたのはつま先がちょっととがった革製の雪駄!
岸和田の中学生の定番ですよっ!  知らんけど!
小学生の頃のほうがオシャレやったことは間違いないですね!
 
そんなこんなで中学を卒業するころには
完全に洋楽だけを追いかけるようになってましたが、
まだ何事にも音楽の影響はみられませんね。
次回は高校に入ってからのお話でこの辺から面白くなりますよ!
                 
                        
                                                                                       つづく
 
有)スポテッドホースクラフト 
大園 英樹
大阪府堺市堺区二条通2-17
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