2019/09/06 14:22

2017-02-23 14:45:57テーマ:ブログ


音楽編3
 

1985年高校を卒業し、ようやくディスコデビューした
ボクはダンスミュージックに傾倒していきました。
アース・ウインド&ファイア-、バーケイズ、シャラマー、
シックにザップ!上げればきりがないんですが、
とにかくファンクやR&Bに夢中になりディスコ通いで朝帰り連発!
よりパンチのきいたダンスミュージックを追い求めヒップホップへ流れつきました。
ラン・DMC、フーディーニ、LLクールJ、デジタル・アンダーグランド、などなど。
 
1985年(昭和60年)ごろの大阪はどんな感じやったかいうと、
光化学スモッグ注意報はほとんどでなくなってたと思います。
1985年阪神タイガース21年ぶりのリーグ優勝、
高校野球はPL学園が清原、桑田(KKコンビ)の活躍で優勝。
 
キョンキョンは ♬ なんてったってア~イド~ル ♬
と自分のことをアイドルと歌ってましたね!
 
バブル景気がじわじわ盛り上がる中ショルダーホンなる初代携帯電話が発売され、
まさにショルダーバックのように肩から掛け、
歩きながら受話器を握ってしゃべっている姿は注目の的やったことでしょう!
(ボクは当時見た記憶がないんですが)
 
この冬心斎橋BALにハウスマヌカンとして就職しました。
DCブームの真っただ中、大ヒット商品は“スタジャン”で、
入荷すると試着もせず我先にとレジに並ぶほど売れました。
その時のバル館内BGMはシンプリー・レッド!
 
そのころの大阪“ミナミ”はディスコの全盛期で、マハラジャ、
ジジック、ジュビレーション、パトーナ、倉庫クラブ・・・
まだまだたくさんありましたね!
そんなディスコとハウスマヌカンって、持ちつ持たれつみたいなところがあって、
いろんなディスコの黒服の方がタダ券をお店に持ってきてくれるんです。
そのただ券は1枚で男女1名ずつが入れる!
要は、おしゃれな販売員が同伴で女の子を連れてきてくれれば、
あのディスコはおしゃれな客が多くいつも大勢のお客で流行ってる、
という宣伝効果があり、ボクたちはただで晩御飯を食べられるという
実質的な恩恵が得られたのでありがたかったです!
毎週いろいろな曲がヒットし消えていくそんな早いサイクルやったように思います。
遊びは充実してたんですが販売という仕事が自分に合っていないと
判断したボクは、作る側の仕事がしたくてクロージングメーカー(スーツ・ジャケット)の
生産管理部に転職しました。
 

クロージングメーカー時代 右端ボク、その左今も大切な友達やすよし!
 
 
1988年結婚!(22歳)
1989年長男誕生!!
 
自分が家長となって家族を守るという責任感が
人生観を大きく変えました。
 
このころ聴く音楽はヒップホップとレゲェばっかりに!
特にダンスホールレゲェのクラブ“セント・アンズ”がアメリカ村のはずれに
できてからは少ないお小遣いをはたいて通いました。
家でも子供のリズム感がよくなるとかなんとかいいながら、
レゲェのレコードを中心にかけていましたね。
 
ダンスホールレゲェでアーティストが “コマゲン”
(ジャマイカ英語で、カムアゲン=もういっちょ!という意味?)って
よく言うんでボクもかぶれてよく言ってたんですね、
そんなある日2,3才になる息子の “ゲンタ” に向かって
 
“コマ ゲン” するとゲンタが、
 
“コマ とーちゃーん” って!
 
こんなほのぼのとした日々を過ごしていました。
 
仕事面では作る側の仕事に満足してたはずなんですが、
ある工場の職人さんの一言でぶっ飛んでしまったんです!
 
「「縫えもせんのに偉そうにいうな!」」
 
いつもすごい可愛がってくれる大好きなおっちゃんなんですが、
展示会用サンプル制作時期で超忙しく、みんながピリピリしてる時に
ボクがミスをしてこういうセリフになったんですが、
ボクも若かったのと心のどこかで生産管理の仕事に疑問を持ってたんでしょう・・・
 
「ほた、縫えるようになったら偉そうにしてええんけ!」
 
「「おぉええよ!」」
 
「わかった、縫えるようになるわ!」
 
「「・・・・・」」
 
これがきっかけで取引先である岡山のデニム工場で修業させていただくことになりました。
 
1993年(平成5年)テレビでは
“ダウンタウンのごっつええ感じ”が流行りだしナタデココが話題になる中
27歳のボクは完全にアメリカ分化にどっぷり浸ることになります。
 

94か95年ルイジアナ州の綿畑にて・・・
 
ジーンズ=アメリカ=ブルース、ブルースロック、サザンロック・・・
 
バディ・ガイ、BBキング、ジミヘン、デレク&ドミノス・・・
一番はまったのはスティービー・レイ・ボーンですね!
魅力は何といってもブルージーでスリリングなギターソロ。
いろんなアーティストの中でボクが好きになる一つの共通点が
フェンダーのストラトキャスターというエレキギターを使ってる
人を好きになることが多いんです。
ギターとアンプやエフェクターによって音色は違うので
思い込みっちゅう場合もあるとは思いますが。
 
今思えば恥ずかしいのですが、髪形もインディアンにあこがれ
肩まで伸ばしたロン毛にしてたというとかっこよさそうですが、
剛毛なんでくくらないと落ち武者みたいになるし、
くくっててもゴムが毛の硬さに負けて緩んでくるんです。
それでも心はアメリカです!
 
1996年(平成8年)独立
 
独立してからもアメリカ音楽を中心に聴いていましたが、
ギターが、というかストラトがほしくなって買ってしまったんです。
ちなみにいまだに全く弾けません!音をだすだけです!
 

 
 
酒を飲みブルースを聴きながらストラトを抱えているだけのおっさん!
 
これで気分がいいんですから自分でもあきれます!
 
こんな感じで30代へと入っていきました。
 
                                       つづく
 
(有)スポテッドホースクラフト 
大園 英樹
大阪府堺市堺区二条通2-17
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